2016年09月15日

古典日本賭博ゲーム

あまおち顔アイコン_小.jpg
 
 
 
 最近、昔の日本の賭博ゲームに興味を持ちだした。
 有名なところだと、丁半とかチンチロリンとか花札とか。
 んで最近とあるキッカケで知ったゲームが「手本引き」。
 
手本引き(てほんびき)は、日本の賭博ゲーム
 
 1人の親に対して複数の子が賭けを行うところは追丁株(おいちょかぶ)と似ているが、偶然性よりも過去の推移や相手の性格や癖(キズ)を読むといった心理戦の攻防に主眼が置かれる。その興奮や恍惚感から、手本引きを知ると他のギャンブルがつまらなくなると言う人も多く、丁半やアトサキ(バッタ撒き/ジャンガー)などの賭博よりも格上とされ、日本における「究極のギャンブル」「博奕の華」「賭博の終着駅」と賛されている。

 
 詳しいルールはリンク先を見て貰えればと思うが、引用したようにこのゲーム、運要素よりも駆け引き心理要素がバリバリ入るゲームだ。
 その上、ルール自体はかなり簡単で、麻雀のように事前に覚えるなどが必要ないので、誰でもすぐプレイすることができる。
 ので、早速仲間内でプレイしてみたのだが、これはだいぶ引き込まれる。
 やはり賭け方や札の入れ方など、個人によって個性が出るので、よりフィーリングが合う人間に対しては当てやすかったりもした。
 ので、一人ボコボコにしてやった(笑)
 
 もちろん賭けずにやったのだが、確かに賭けたらなお一層真剣になって燃えるんだろうなと。
 というわけで、ふとしたキッカケで知った手本引きだが、さらに日本の古典博打ゲームに興味を持ったので、これから色々と研究してみようかなと思ったのである。
 実は昔、チンチロリンを多少改良したゲームを作ってみたことはあったんだが、お蔵入りになったという経験もあったりするので、古典博打ゲームは結構性に合っているのかもしれない。
 
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2016年06月15日

つくりたいゲーム

あまおち顔アイコン_小.jpg いままで5作のオリジナルTRPGルール(ひとつはサイコロ・フィクションだが)を作ってきたわけだが、作れば作るほど、新しいゲームを作りたくなってしまうのは、いったいどういう前世の業だろうか。
 なんて書いたら他のクリエイターさんに怒られるかもしれないが、ルールを作っている時も、作り終えた後も、どんどん新しいゲームを作りたくなってしまうのだ。
 もちろん、一作を完成させるのはかなりの労力を必要とするので、ぽんぽんと作れないのがつらいところだが、とりあえずいま作りたいと思っているゲームを、ストレス解消として一部公開してしまう。
 
・ハードボイルドスペースオペラ
・異世界転生モノ
・平安時代を生活するゲーム
・幕末モノ
・クトゥルフ神話モノ(もっとCoCに近い感じで)
・本格ファンタジーモノ
・短時間モノ

 
 などなど、挙げだしたらキリがない。
 ハードボイルドスペースオペラは、『コブラ』や『カウボーイビバップ』のような世界、異世界転生モノは現代の知恵だけで異世界を生き抜くゲーム、平安はリアルな平安時代を、幕末は新選組大好き、クトゥルフは『邂逅』でやれなかったことを、ファンタジーはオレの原点、短時間モノは最近の流行だし、裁判モノは最近『逆転裁判』をやりなおしている影響で。
 あれ?いつの間にか増えている気がするが、まぁそんな感じの業の深い前世です。
 
 とりあえず、もしこれを読んで新しいゲームが思いついても、オレより先には出さないでくだちぃ。
 
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2016年06月08日

1泊2日のJGC

あまおち顔アイコン_小.jpg ニコニコ動画で「AHCラジオ」の第11回を配信した。
 「あまおち総統のファンタジーとして許せる境界線はどこだ」ということで、ずばっと「ファンタジーにバイクなんていらんだろ」と自論をぶってるので、ぜひ聞いてみて欲しい
 ニコニコ動画のアカウントがないって人は、ここから聞いてみてほしい
 
 ちょうどいま、年一回のTRPGの大祭典JGCの申込期間なので、ちょっと言っておこうと思う。
 
 
 なんで1泊2日やねん?
 
 そりゃ理由はあるんだと思うよ。
 いろんな企業やら何やらが合同でイベント開くんだから、日程調整とか含めて大変なんだと思うよ。
 理由があるのは分かるし、企業には企業の理屈があるのも分かる。
 でも、ただの消費者からしたら、やっぱり1泊2日って魅力が半減以下になっているっていうのは言っておきたいと思うのよ。
 イベントとは企業と消費者である参加者がいて成り立つのだから、消費者には消費者の理屈があるし、それを表明するのも当然の権利だと思う。
 だから、何があったか知らないけど、とにかくちょっとそれはどうなのよ、とは言っておきたいのだ。
 
 よく考えてもらいたいのが、参加者というのはなぜJGCに参加するのかの理由だ。
 それは決してホテルに泊まるのが目的なのではなく、時間を気にせず遊べるというのが、JGCに参加する最大の理由なのである。
 決して横浜プリンスホテルに泊まりたいから参加しているわけではない
 結果的に横浜プリンスホテルが最適だから会場がそうなっているので、まぁその理由は理解は出来るのでそれなりの出費を我慢できていたわけだけど、でも1泊2日だと、「一日中遊び倒す」ことができないのよ、次の日はもう帰るんだから。
 そうなった時、果たして「横浜プリンス並みの料金」というのは、費用対効果に合うかどうか。
 
 もちろん合うって人はJGCに宿泊参加するだろう。
 そしてそういう人たちの価値観を否定するわけではない。
 むしろそういう人がいなければJGCがつぶれてしまうので、ぜひ多くの人に宿泊参加してもらいたいとは思う。
 でも正直、オレらのまわりでは躊躇している人間がほとんどだ。
 横浜プリンスホテルに泊まり、何部屋か会場を使用するのだから、それぐらいの料金がかかるのは分かる。
 頭で理解することはできる。
 ただし、消費者が求めているのは、「プリンスホテルに泊まる」ことではなく、「ゲーム三昧の日々を味わう」ことにあるっていう点だ。
 つまりは、消費者は何に対してお金を払うのかと言えば「ゲーム三昧の日々を味わう」ことにお金を払うのだから、それに見合う値段かどうかで消費行動が決定されるのだ。
 ここを見誤って欲しくないのである。
 
 果たして今年のJGCはどうなるか。
 我々もどうするかすら決めてないが、ちょっとその辺が今年はかなり気になるのである。
 
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2016年05月25日

ファンタジーは世界を救う物語

あまおち顔アイコン_小.jpg いきなり爆弾投げるけど、アナタはドラクエ派?FF派?
 
 オレは昔はドラクエが大好きだった。
 というか、RPGを知ったキッカケがドラクエだった。
 そう、オレは昔からのコアゲーマーではないので、D&Dからとか、もしくはウィザードリーからとか、そういう系なのではなく、昔は普通の少年だったのだ。
 そして普通の少年は普通にドラクエに出会い、そしてドハマりしたのである。
 
 まぁオレの昔話はいいとして、とにかく最初はドラクエだったのだけれども、RPGという「自分の分身が冒険できるゲーム」に魅入られたので、自然とFFもプレイするようになった。
 となると、いつの間にかFFの方が好きになっていた。
 なぜなら、よりファンタジー色が強く、リアリティが感じられたからだ。
 
 この辺詳しく説明したいところだが、まぁ簡単に言えば、ドラクエはよりメルヘン色が強くなり、FFはタイトル通りファンタジー色を強めていったという点が大きい。
 FFは世界が無限に広がっていたが、ドラクエは神様が身近だった。
 それは鳥山明色が強すぎたせいかもしれないが、ドラゴンボールよろしく神様が身近すぎて、世界の果てが近すぎたのだ。
 しかしFFは、世界自体が人間の手ではどうしようもない部分に存在するので、逆により世界がリアルに感じることができたのだ。
 この辺感覚の問題なので、分かってくれる人に分かってくれるものだと信じてる。
 
 しかしオレは、FFもいつの間にかプレイしなくなってしまった。
 なぜならFFはいつしかファンタジーを捨ててしまったからだ。
 それは決して、安易な機械を出したとか、バイクを出したとか、マイクが出てきたとか、そういうモノではない。
 いや、それもオレにとっては反ファンタジーの大欠点ではあるのだが、それよりなにより、FFは「世界を救う」のではなく「自分を救う」ために冒険をはじめていたからだ
 
 自分を救う旅はファンタジーではない。
 同意できない人もいるかもしれないが、しかしオレは思うのだ、世界を救う旅こそがファンタジーだと。
 世界を背負う重さで悩むのならいいが、自分の出生で悩むのであれば、他の人に救世を譲って欲しい。
 いやせめて、思春期を終えてから世界を救う旅に出て欲しい。
 世界は自分の中だけではないのだ。
 自分探しの旅は、確かにそのキャラクター自身には重要なのかもしれないが、オレはお前ではなくプレイヤーなのだ
 プレイヤーとキャラクターがリンクできない自分探しの旅はオレはしたくないのだ。
 自分探しの旅ならリアルですればいい。
 リアルでは体験できない世界を救う旅をオレはしたいのだ。
 それがファンタジー世界に求める世界なのである。
 
 正直最近のFFはビジュアル面からしてファンタジーでなくなっているので、中古ですらプレイしようとは思えなくなってしまったのだが、未だにFFは自分探しの旅をしているのだろうか。
 それとも世界を救う物語に戻っているのだろうか。
 それとも別のタイトルで、オレがまだ世界の可能性を信じていたころにワクワクし夢想していたファンタジーの世界を思う存分旅するゲームがどこかに存在しているのだろうか。
 
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2016年05月18日

ゲームマーケット2日間開催か?

あまおち顔アイコン_小.jpg 今日は一部の界隈を騒がしている、アークライトが送ってきたアンケートについて書いてみたいと思う。
 すなわち、「すわ、ゲムマ2日間開催か!?」という話だ。
 
 まぁゲームマーケットを主催しているアークライトがサークル向けに「もし 2日開催となった場合、どの日程で出展したいですか?」というアンケートを送ってきたわけだが、さてどうしようかね。
 少なくともゲムマが2日間開催になって確実に起きる事は、「初日か2日目か、どちらかにしか行かない参加者が出てくる」という点だ。
 これは確実に言える。
 全ての参加者が揃って両日参加するなんて考えられないのであり、もちろんそういう人も数多くいるとは思うが、それでも確実にどちらかしか参加しない、もしくは参加できないという人はいるだろう。
 もっと言えば、いままでは日曜だから参加できなかったけど、もし土曜に開催されるならぜひ行きたいと思っている人も、それなりにいると思われる。
 
 となれば、つまり一日しかサークル参加しなかった場合、「ゲムマには参加したけどAHCのブースは見なかった、見る機会すらなかった」という人が出てきてしまうわけになる。
 
 これはいかん。
 様々な事情でAHCブームまでたどり着けなかったのであればまだしも、「そもそもたどり着く可能性すらない」という状態は、大変な機会損失だと言えるだろう。
 なにごとも、結果だけを見るのではなく、可能性を広げることによって結果をより良くするという考え方でなければ発展しないのではないだろうか。
 
 だから結果としては「意地でも2日間出る」という結論を出さざるを得ない。
 もちろん出店料は高くなるだろう。
 致し方ない。
 会場費があるんだから、一日だけの出店料並みに抑えろとはさすがに言えない。
 ここは涙をのんで、可能性に対して投資をしなければならないと思っている。
 
 また一般参加者側から見た場合で言えば、2日間に分散されるのだから、簡単に「一日あたりで見て回れるサークル数が増える」というメリットが生まれる
 となれば、つまりさっき書いた「様々な事情でAHCブームまでたどり着けなかった」という人が、時間的余裕のおかげでたどり着くようになる可能性だってある。
 そして売り手のオレらも、なんとか他のサークルを見て回る余裕も出来るかもしれない。
 
 つまりは、自分の都合で2日間のうちどちらかでも参加できるし、時間的余裕も生まれるし、基本的には2日間開催はメリットの方が大きいのではないだろうか。
 もちろん危惧すべき点もある。
 一日しか出れないサークルの分散のデメリットや、ますますの二極化などだ。
 ただ、現状これ以上のサークル数の拡張は、一日開催では不可能になってきているのであれば、ある程度は我慢も必要なのかもしれない。
 2日間開催して、オレらはなんとか歯を食いしばって2日間とも出展しつつ、これまで難しくなってきた買い手としてブースを回るという楽しみをもう一度謳歌するチャンスだと捉えるのが適当なのではないだろうか
 
 ただしこの1点だけは言っておきたい。
 TRPGジャンルにおいては、おそらくデメリットしかない
 なぜなら、もともと数が少ないからだ。
 ただでさえ埋もれているジャンルが、ますます埋もれてしまうことだろう。
 
 だからAHCが二日とも出展するにしても、TRPGの方はどうするかは、今後検討課題だと思う。
 出店料も馬鹿にならないからね。
 
 この点、他のゲームマーケットでTRPGを出しているサークルさんの意見も聞いてみたいところだ。
 
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2016年05月11日

RPGの場合のプレイヤーの「視点」

あまおち顔アイコン_小.jpg 前回は「アビリティを使って行動を説明するという独自ルールにこだわる訳」ということで、「所持しているアビリティを使用し、どう行動するかを説明する」という判定方法についての、ひとつのこだわりについて書いてみた。
 そしてこれこそが「RPGの原点」なのではないかということも主張してみた。
 
 今日はさらに踏み込んで、ではRPGとはなんぞやっていう部分について、まぁテーマが壮大すぎるのでその全てを語れるとは思っていないが、前回述べた行為判定方法を踏まえて書いてみたいと思う。
 
 RPG、すなわち「ロール・プレイング・ゲーム」であるわけだが、中には「ロールプレイ」を演技だと思って、そこを嫌う人がたまにいる。
 言い換えれば「キャラクタープレイ」までをも強要されたくないという人だ。
 コテコテの演技が恥ずかしいという人はそれなりにいるだろうから、その気持ちは分かる。
 ただ、キャラクタープレイがイヤだからと言って、完全にプレイヤー目線でキャラクターもルールも世界も見てしまい、つまり「世界の上から俯瞰する神目線」になっては、これはRPGではなくなってしまうのではないかと思うのだ
 
 ここがシミュレーションゲームとの最大の違いだと思っている。
 つまり、「誰目線でプレイを進めるのか」だ。
 RPGは、その世界の中に住むキャラクターが、その世界の中の法則やルールに従って行動するというゲームだ。
 一方シミュレーションゲームのプレイヤーは、キャラクターではなくプレイヤー本人がゲームを俯瞰した上で最も勝ちに近い道筋を探すゲームである。
 この両者は「目線」が違うのである。
 
 RPGの言う「ロールプレイ」とは、「キャラクター目線を持つプレイ」だとオレは思っている。
 いくらキャラクタープレイをしたところで、しかしその目線が神目線であったら、それはロールプレイではないと言うべきなのではないだろうか。
 「私は世界の全てをこの目で見るジャーナリスなのよっ。いくら猛吹雪の山小屋で避難していたとしても、外に異変がちょっとでもあれば、命をかけて駆け寄って写真をとるのよっ」とほぼオープンニングで言われても、異能力を持つわけでもない一般人の人間がそんなコトは現実的にはしないわけで、これは単に恐怖をいたずらに他のプレイヤー(キャラクター)に振りまきたいだけの、「プレイヤー目線」での行動でしかないと断じざるを得ない。
 もっと言えばこの行為、ゲーム序盤だから「この段階でPCに死なれたら困る」というGMとゲームのシステムの網の目を付いた行為とも言える。
 これはロールプレイではない。
 
 オレのオリジナルルール「MSS」や、新作「悪の秘密結社RPGヴァリアントSNS」は、この「キャラクター目線での行動」を、行為判定ルールによって強制的に行わせているシステムと言える。
 キャラクターが持っているアビリティを「どう使うのかを説明させる」ので、プレイヤーは必ずキャラクター目線になるからだ。
 行為判定をいくらプレイヤー目線で有利に働かせようとしても、実際にはキャラクター目線で行動を説明しなければならないので、絶対にRPGになってしまうのである。
 
 それは誰の視点かっていう部分は、これは多くのゲームにとって重要な要点なのではないだろうか。
 
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2016年04月27日

アビリティを使って行動を説明するという独自ルールにこだわる訳

あまおち顔アイコン_小.jpg もう一週間ちょっとまできたゲームマーケット2016春だが、そこで新作TRPGルールブック「悪の秘密結社RPGヴァリアントSNS」を発表することとなった。
 もう入稿も締め切り通り終わっているので、問題なく当日は頒布することができると思う。
 
 ところで今回のオリジナルルールは「MSSクトゥルフ神話との邂逅」とかと違い、MSSの名前を冠していない。
 今回はネット特化ということでサイコロを使わないルールを作ったので、厳密にはMSSではなくなったのでMSSとは付けていないのだが、しかし結局は似たような行為判定となった。
 
 つまりは「所持しているアビリティを使用し、どう行動するかを説明する」という判定方法なのである。
 
 この方式、わりと人を選ぶというのはもう何度も何度もいろんな人から言われたので分かっているのだが、それでもオレは、こだわってこのシステムを採用し続けている。
 それはなぜか。
 RPGがRPGになる前は、「ごっこ遊び」がその前身であって、そのごっこ遊びに原点回帰するのがこのシステムだと思っているからだ。
 
 ごっこ遊びって誰でも子供の頃やってる経験があるはずだ。
 ルールなんかないけど、とにかく「オレは○○になって、△△を使って、××をするんだー」とか、男の子でも女の子でも、それがヒーローもののチャンバラなのか、家庭的なおままごとなのかは、ともかく、そういう遊びをしていることだろう。
 それってつまりはこういうことだと思うんだよね。
 想像の中の自分を、想像の中で行動し、それを現実の自分で表現する
 この説得力は、決してサイコロなどのランダム性にゆだねられるのではなく、あくまで自分の表現力で決まっているのだ。
 より廻りを納得させられれば、それが多少強引であっても、ごっこ遊びの中では正義となる。
 根拠は人それぞれだが、要は他人を納得させられる力があるかどうかにごっこ遊びはかかっている。
 そしてRPGの原点がここにあると思うのだ。
 
 もちろんこれ以外はRPGではないなんて言うつもりは毛頭無い。
 とにかくスキルを使いまくりさいころの数を増やして成功率を上げるっていう方法も、これは現代にまで先人達が多くの努力を積み重ねてTRPGを作ってきた歴史の賜なのだから、それは当然尊重されるべき遊び方だ。
 そして事実として、この方法がいま多くの人に受け入れられている。
 それは素晴らしいことだと思う。
 
 ただオレは、ごっこ遊びに近い方法の遊び方が、最近は少なくなっているんじゃないかと感じているので、せめて自分が作るルールではそっち方向に傾いたルールを作ろうとしているってことなんだよね。
 
 
(つづく)
 
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2016年04月20日

締め切り間近

あまおち顔アイコン_小.jpg 何が大変って、金曜日に『ラリーブック』の締め切りで、土曜日に『悪の秘密結社ヴァリアントSNS』の締め切りなのよ。
 同時並行マルチタクスで編集中。
 それなのに、律儀に週一更新して、オレえらい。
 他のメンツはみんな更新とまりやがって。
 
 というわけで、今日はこんだけ。
 
 ぜひ「スタンプラリー」参加してください。
 「秘密結社」も面白いですよー。
 あ、「秘密結社」はまたもやビックリ価格でご提供できると思うので、ツイッターゲムマブログをチェックしておいてね〜。
 
 うぃ〜。
 
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2016年04月13日

昔のネット2

あまおち顔アイコン_小.jpg むかーしむかし、まだインターネットが全く知られていなかった頃、歴史を振り返ってもインターネットが誕生していないころ、あまおち総統はパソコン通信にいそしんでいたそうじゃ……。
 
 というデジャブ。
 
 ひとつパソコン通信時代に大きな思い出があるので書き記しておこう。
 パソコン通信と言ってもインターネットとは違い、ユーザーはなんらかのサービスに加入しなければ他のユーザーと通信することはできなかったのだ。
 分かりやすく言えば、今で言うSNSみたいなものに加入しなければならない。
 パソコン通信という通信手段を得た上で、どこかのSNSに加入してはじめて、その同じSNSのユーザーと通信できるようになる。というのがパソコン通信の基本的な構造なのだ。
 そのSNSは「草の根BBS」と言われるような個人や地域密着の企業が行っているサービスから、全国規模のサービスまで様々あり、中でも当時一番大きいサービスとしてニフティサーブというものが存在していた。
 いまでもニフティあるよね。
 オレもニフティに加入していた。
 
 そのニフティの中には、様々なコミュニティが存在した。
 分類なんかはまさにいまのSNSと変わらず、アニメやらゲームやら音楽やら政治やら文化やらそんなのがあって、そしてTRPGのコミュニティもあった。
 もちろんオレはそこに加入していた。
 そこではオンラインセッションも行われていた。
 電話料金が安い深夜帯に、オレも徹夜でよくオンセしていたもんだ。
 その後の電話料金の請求がえらいことになっていたが(笑)
 
 そんなコミュニティなんだが、ある日、ひとりのユーザーがチャットにやってきた。
 ハンドル名を見ると「近藤功司」
 ん!?
 ま、まさか、あの近藤局長か!?
 そしてオレはおそるおそる聞いたのだ。
 
 あまおち:冒険企画局の近藤局長ですか?
 近藤功司:そうですよ
 あまおち:サインください!
 近藤功司:近藤功司
 
 お茶目な近藤さんに画面の前でうっとりするオレだったのである。
 
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2016年04月06日

昔のネット

あまおち顔アイコン_小.jpg むかーしむかし、まだインターネットが全く知られていなかった頃、歴史を振り返ってもインターネットが誕生していないころ、あまおち総統はパソコン通信にいそしんでいたそうじゃ……。
 
 と、別に続かないんだが(笑)、まぁオレはインターネットができる以前からパソコン通信をやっていた。
 パソコン通販とは何かと言えば、ぐぐれか…まぁ電話回線を使用したネットとでも思ってくれればいいんじゃないかと。
 しかしここで問題なのが、つまりは電話回線を使うのであるからして、パソコン通信をしている間はずっと電話料金がかかってしまうというところだ。
 
 昔は通話料金3分10円だったので、30分で100円、1時間で200円。
 30日毎日繋げば、6000円。
 1日2時間もしてしまえば、1万2000円だ
 うひゃー。
 
 もう最近は知らない人も多いと思うが、NTTはある時から「テレホーダイ」というサービスを始めた。
 これがちょー画期的で、深夜11時から朝方までは指定の番号に限り、いくら電話を掛け続けても固定料金で済むというモノだった。
 確か3000円くらいだったかなぁ。
 オレはこの情報を聞いた時にすぐにNTTにかけこんだのだが、当のNTTの窓口の人が「テレホーダイってなんですか?」状態だったというのが、当時のまだまだネットが発達していない情報伝達速度の遅さが分かるという事例でもあった。
 とりあえずその場では確認作業をしてもらい、申し込みが出来る状態になったら電話で連絡をしてもらうことにしたのだった。
 もちろん固定電話、つまり家電にである。
 よって、後から家族に「テレホーダイってなに?」と同じ質問を受けるハメになったというオチ付きである。
 
 それでもまだテレホーダイは知っている人もいるだろうが、これを知っている人はさらに少ない。
 昔は深夜帯、0時か1時からだったと思うのだが、この時間からかければ電話代がちょっと安くなっていたのだ。
 確か3分10円から、3分8円ぐらいに。
 これけっこう大きいよね、だって2割引なんだから。
 
 だから、テレホーダイ世代はみんなが接続しはじめるために異様に重くなる夜11時になる数分前にダイヤルアップ接続をしておくというテクニックを使っていたが、それ以前の世代は「あ、0時になったから一回つなぎ直すね」という会話(もちろんチャット)がよく交わされていたのであった。
 テレホは事前に繋いでも定額時間内は定額になるが、3分8円はその時間内から接続しなければ適用されなかったからだ。
 
 という、ただの昔話でした。
 
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2016年03月30日

AHC大合宿の話

あまおち顔アイコン_小.jpg 結局毎週続いているのはオレだけのAHCブログへようこそ。
 
 と、軽くウチのメンバーをディスっておいて、今日はちょっとライトな話題として、先日行われたAHC大合宿について宣伝がてら紹介しようと思う。
 
 AHC大合宿とは何するものぞと言えば、まぁ読んで字のごとし、合宿を行ったのである。
 2泊3日、都内某所のログハウスを借りて、朝から晩までゲーム三昧。
 今回は十数名のメンバーが集まり、濃い3日間を過ごしたのである。
 
DSC_0187.JPG オレのツイッターをフォローしてくれている人は、プレイされたゲームの写真をアップしまくっていたので見て貰えたと思うが、ところでこの合宿、実は毎年この時期にやっている恒例行事だ。
 もう何回目か忘れたけど、少なくとも5年以上はやっている。
 一度、大震災の時だけ中止したけど(震災から1週間後だったため)、それを除けば毎年、多い時で30人ぐらい集まって合宿を行っている。
 
 これはAHCのモットーなんだが「AHCはひとつのサークルである」というのがある。
 つまりAHCに所属すれば全員が仲間であり身内であるので、例えばコンベンションにゲストで遊びに行くのと違い、全員で楽しもうという意識を持って参加すべしという趣旨が込められている。
 自分だけが楽しければいい、自分だけが活躍すればいい、そんな自分勝手な意識でのプレイヤーがコンベンションなんかではたまに出没するという話は聞くが、AHCはそんなことは許さない。
 なぜなら「ひとつのサークル」だからだ。
 全員が楽しめなければサークルとして活動する意味なんて無いわけで、AHCは常に普段からこういうイベントまでそんな意識を持って活動しているのである。
 
 そういう意味において、この合宿もそれに一役買っている。
 というのも、いくら口で「ひとつのサークルだ」とか言っても実感としてはなかなか湧かないかもしれないが、AHCの合宿に来れば身体で体感することができるからだ。
 AHCの合宿は、食事も自分たちで作る。
 「同じ釜の飯を食う」だけでなく、「同じ釜で飯を作る」のだ。
 つまりは、ゲームをするのも、飯を食うのも、酒を飲むのも、そして寝ることすら、ひとりではできない環境がAHC大合宿なのであり、全てをみんな力を合わせて達成していくというミッションを3日間ずっと共同で行うのがAHC大合宿なのだ。
 参加するだけで自然と仲間意識が生まれるというものである。
 
 そしてこれは楽しい。
 
DSC_0184.JPG オレはいま敢えて小難しい感じで書いているが、要は3日間ゲームキャンプをするっていうのは、そりゃ楽しいに決まってる。
 楽しくないわけがない。
 まして寝る時間を気にせず寝落ちするまでゲームができるのだから、考えるまでもなく楽しい。
 そしてなにより、そんな楽しいことをした上で、気の合う仲間まで作ることができるのだから、こんな幸せなことはないだろう
 
 特にTRPGにおいては、そのプレイングのクセっていうのは、ゲームの内容に直接影響を与える重要なファクターだが、こうやって仲間の性格を知ることで、いい部分を引き出し、トラブルのもとになる部分を事前に防ぐことができる。
 変な話、そういう人間だとはじめから分かっていれば、腹が立たないなんてこともよくある話だ。
 だからAHCはSNSのような形ではなく、断固として必ず「ひとつのサークル」ということを主張し続けているのである
 そして年一回の恒例行事AHC大合宿は、AHCの目玉行事として開催され続けているのだ。
 
 というわけで、来年はぜひとも一緒に合宿しよう。
 いつでも君の加入を待っている!
 
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2016年03月23日

TRPG部を学校に作ろう

あまおち顔アイコン_小.jpg アナログゲームはまだまだその普及こそが至上命題の業界だ。
 改めて言うほどでもないが、ボードゲーム・カードゲームそしてTRPGは、そのプレイ人口が少なく、認知度も低く、それが原因での弊害も少なくない。
 例えばゲームを買う場所やプレイする場所がない、趣味として公表しづらい、何より一人で出来ないのがアナログゲームなのに一緒にプレイしてくれる人がいない、などなど。
 だから今も昔もアナログゲーム業界は、その普及とプレイ人口の増加が至上命題である。
 
 その中においてひとつ、ちょっとひらめいたことがあるので、提案してみようと思う。
 それは学校に「TRPG部」を作ろうという提案だ。
 
 オレ自身にはそんな経験はないのだが、オレのまわりには何人か学生時代にTRPG部があったとか、TRPG部ではなかったけど漫研でTRPGをやっていたとか、そういうヤツがいる。
 ハッキリ言って、学生時代はほぼ自分だけがTRPGを知っていただけの孤立無援だったオレにとっては、なんともうらやましい環境だと思うのだが、しかしそれこそがヒントだと思うのだ。
 すなわち、学校という場でTRPG部を作ることによって、そこでTRPGとかカードゲームとかを知って貰えれば、部員はその後の人生においてもそれを趣味にして生きていくことになるのだから、これは大変大きなプレイ人口の増加に繋がるのではないのだろうかと。
 
 これは社会人サークルをつくるのとわけがちがう。
 何しろ(部員が一定数居続けることか条件になるんだろうが)学校が存続する以上は、常に「新規プレイヤー」を作り出す窓口になるからだ。
 社会人サークルなら新規会員の加入というのは、まずメンバーをどこから連れてくるのかという大きな命題が、それこそ「どうやってプレイ人口を増やすのか」と同じ命題が待ち受けるわけなのだが、学校であれば新入生という常に新規プレイヤーとなる可能性のある人間が学校に入ってくるのだ。
 これは大きい。
 そもそもスポーツにしろ文化にしろ、学生時代の部活動の経験がキッカケとなって、それが一生涯の趣味になっているというのはごくごく一般的な出来事なのだから、ここを利用しない手はないのだ。
 全国の多くの学校にTRPG部ができれば、いまでは考えられないようなアナログゲーム業界の規模になること間違いないだろう。
 
 ではどうやって学校にTRPG部を作るのか。
 ここでひとつ提案なのである。
 プロと出版業界の皆さん、中学高校でTRPG部を作るための支援をして貰えませんか?
 
 具体的には
 
1.学校・教員への説得
2.ゲームの部活動特別割引の制度創設

 
 この2つがサポートの大きな柱となるのではないかと考えている。
 多分、自分が学生だったと考えたら、まずそもそもとしてクラブを0から作るということ自体が大きなハードルになると思し、さらに大きな関門が、「TRPGというものを教員に説明すること」である。
 理由は言わずもがな、これがとてつもなく難関だ。
 ただでさえクラブ新設なんて大それたことをしようとするのに、教員に「TRPGってなんだ?」と怖い顔で言われたら、なけなしの勇気も消えてしまうというものだ。
 
 だからここでプロの登場である。
 ここで電話なり実際に学校に来て貰うなりして、「私この本の執筆をしています○○です。TRPGは素晴らしい。人生にとって大きな潤いになること間違いなし。むしろ知らない方が人生損してる。TRPGサイコー!」と言って貰えれば、本物の作家オーラに気圧されて即刻クラブ新設の許可ハンコを担当教員が押してしまうこと間違いないだろう
 さらにたたみかけるように、「私○○出版社の○○です。さすが先生。では特別にこのゲーム、○○円でお譲りします。これは子供達の輝かしい未来のためですから。私たちも社会貢献と思ってこの事業をやっています」なんて言って貰えれば、予算削減という本音と社会貢献という建前に弱い社会人のハートをガッチリとキャッチできるはずだろう
 
 もちろんこれは投資である。
 子供達が今後社会人になって自分でお金を稼げるようになった時、そのお金をアナログゲームにつぎ込んで貰えれば、プロだって出版社の人だって利益が出るわけだし、それが今よりもプレイ人口が多くなっていれば、使った金額よりも多くのリターンが期待できるというものだ。
 
 どうでしょうか、プロの皆さん!
 
 まぁプロではない素人の発想なので、実際これが可能かどうかはともかく、ただ少なくとも、クラブを作ることはプレイ人口を増加させるかなり有効な手段だというのは間違いないと思っている。
 だからそれを大人が積極的に支援するのはアリなんじゃないかなと思った次第なのである。
 
 どうだろうか、これを見ているであろうSNEや冒険企画局やFEARの先生方、サイトに「学生のTRPG部設立の支援します」と載せてみませんか!
 
posted by AHC at 21:42| Comment(0) | TrackBack(0) | あまおち総統エッセイ

2016年03月16日

「著作者に利益が還元されない形のゲームカフェはこのままでいいのだろうか?」へのコメントレス

あまおち顔アイコン_小.jpg 前回の更新「著作者に利益が還元されない形のゲームカフェはこのままでいいのだろうか?」については、たくさんの反響を頂いた。
 ありがたいことだ。
 
 ただこの問題は、前にも書いたように将来的な問題なので、いますぐに解決するものではなく、いや、いますぐにはどうやったって解決できるものではないので、もっと時間を掛けてゆっくりと業界全体として考えていけばいいと思っている。
 特にいまは黎明期であり、前回も言ったとおり「今はどんな手段を使ってでも普及させることが大切な時期」だ。
 だから、我々は同人の身分ではあるが、もしカフェでAHCのゲームを置かして欲しいという要請があれば、すぐにでも我々の全てのゲームを提供する用意はある。
 
 飛んでいきますので、ぜひカフェの経営者の皆様、ご連絡お待ちしてます(笑)
 
 また、この問題は立場によって感じ方が全然変わってくる問題でもある。
 完全に商業ベースでやっている人。
 商業とインディーと別の副業(本業?)と2足3足のわらじでやっている人。
 同人活動してアナログゲーム作りに関わっている人。
 プレイヤーとして積極的にアナログゲームに関わっている人。
 たまにしかアナログゲームに触れる機会が無い人。
 それぞれの立場でこの問題への感じ方、考え方は、全く異なってくるし、同じ立場でも人によってスタンスは変わってくる。
 そういう部分も含めて、今回のこの問題は、業界全体として急がず考えて行く必要がある問題であろう。
 引き続き、またこのような問題提起や議論をオレ自身も行っていきたいと考えている。
 
 ありがたいことに、普段全くコメントの付かない当ブログにおいて、3つもコメントをいただいたので、せっかくだからそのレスをしたいと思う。
 
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posted by AHC at 19:13| Comment(0) | TrackBack(0) | あまおち総統エッセイ

2016年03月09日

著作者に利益が還元されない形のゲームカフェはこのままでいいのだろうか?

あまおち顔アイコン_小.jpg 最近アナログゲームカフェがオープンしまくっている。
 これまであったようなゲームを販売する店に付属するプレイスペースという形ではなく、メインがプレイスペースでゲームの販売はしていない、場所の時間貸しだけのゲームカフェが、ここ1、2年でぽこぽこオープンしている。
 オレも先日、池袋にあるオープンしたてのゲームカフェに行き、我々の新作のテストプレイを含めて、いくつかのゲームで楽しんだところだ。
 
 もちろんこれはアナログ業界にとっては喜ばしいことだ。
 既存プレイヤーにとっては場所の問題がかなり解決されるし、また気軽に入れる店があることで新規プレイヤーの獲得にも繋がる。
 さらに、自分が持っていないゲームをお店に置いてあるゲームをプレイすることによって、新たなゲームの魅力に気づけるキッカケにすることができる。
 ゲームカフェ万々歳である。
 
 しかしちょっと立ち止まって考えたとき、ひとつ、このままで大丈夫なのかなという危惧が生まれた。
 
 確かに今はいい。
 アナログゲームはまだまだ普及率が低すぎる黎明期とすら言える状態であり、今はどんな手段を使ってでも普及させることが大切な時期なので、今はこれでもいい。
 けど、もしこの先、アナログゲームが大普及して、ネットカフェ並みにゲームカフェが流行したら、アナログゲーム自体の商品価値を落とす結果に繋がってしまうのではないのだろうか、と。
 
 つまり、ゲームカフェはゲームを利益のために利用しているわけだが、そのゲームの著作者にはその利益が還元されない形となっている。
 確かにゲーム自体はゲームカフェが買っているからその部分だけは利益になるが、しかしゲームを買えばそれを自分の商売に自由に使って良いかどうかっていうのは別の問題だし、どちらにしても、新たに生まれた利益に対して著作者には全く還元されていない形なのが現状だ。
 例えば他のジャンルに目を向けてみると、今のところ漫画喫茶は漫画の著作者に利益が還元される形になっていないので、いまのゲームカフェと同じ構図のようだが、一方、音楽や映画はレンタルやカラオケなどで著作者に利益が還元される仕組みになっている。
 また同じゲーム業界とも言えるファミコンなどの任天堂は、この手の商売を認めていないようで、ファミコンがプレイ出来るカフェに対して法務部が勧告を行いゲーム機の撤去を行わせているところを、実際に耳にしたことがある。
 ジャンルによって対応はまちまち、これは法律もからんでくる話だと思うので、そこまで考えるとけっこう複雑だが、ここで一番言いたいのは、「買わなくてもゲームカフェに行けば色んなゲームがプレイ出来る」と思われてしまうと、いよいよゲームが売れなくなってしまうのではないかと、ここを一番心配するわけなのである。
 
 我々のような同人はともかく、それを生業としているプロに対しては、キチンと儲けが出るようなシステムを構築しなければならないはずだ
 むしろ、今アナログゲームを普及させようとしている意味を明確に言葉にするのであれば、それはもっと市場規模を大きくし、プロの人数も増え、またプロひとりあたりの利益が大きくなることによって、「夢のある業界」にすべきだ、というのが本来の目的なのである。
 決して、誰も儲からないけど知名度だけは高い、みたいな状態を望んでいるわけではないし、むしろそのような状態にしてはならない。
 利益が出るからそれを専業とするプロが生まれ、これによって良質なゲームが量産されるのであって、この部分の根底の利益がなければ、最終的には消費者の利益にもならないのだ。
 だから「利益の出る業界」を目指して考えなければならない。
 
 その場合、果たして現在のゲームカフェの状態っていうのは、業界全体の利益に繋がる形なのかどうかっていうのは、いまのうちに考えておかなければならない問題なのではないのだろうか。
 もちろん色々と考え議論した結果、ゲームカフェの存在はトータルでプラスになるって結論づけられるなら、それはそれで構わない。
 しかし一番まずいのは、昔からの慣例ということでシステムが根付いてしまって、それが不利益に繋がるのにもう変えようのないものに固まってしまうことだ。
 だからいまのうちにそれはキチンと考えておくべきなのではないのだろうかと、オレは思うわけなのである。
 
 ドイツなどのアナログゲーム先進国などの例も見つつ、いまアナログゲームブームのうちに、色々な意見を聞きたいところだ。
 ぜひこれを読んで頂いたアナタにも、意見を聞かせて頂きたいところである。
 
posted by AHC at 20:44| Comment(4) | TrackBack(0) | あまおち総統エッセイ

2016年03月02日

GMの楽しさ

あまおち顔アイコン_小.jpg オレ自身の中で最も素晴らしかったシナリオは、リプレイにもしている「ボカロカンタービレ」という作品のシナリオだと思っている。
 現在とらのあなで委託販売しているので、ぜひ読んで頂ければと思う。
 という露骨なCMを挟みつつ、ではなぜこれが一番素晴らしいシナリオだったのかと言えば、おそらく「GMとシナリオとプレイヤーとキャラクターがピタッと合致したから」ではないかと分析する。
 
 
表紙.jpg 表紙を見て貰えれば分かると思うが、キャラクター達はボーカロイドと言われるとある既存キャラを使っている。
 なのでリプレイとしてはキャラプレイ、AHCでは「なりきりリプレイシリーズ」なんて呼称しているが、つまりはキャラの設定が最初から決定されているし、その性格も多くの人に広く知られているところでもあり、基本的にはそれに準拠したキャラクタープレイが推奨されるセッションとなる。
 よってGMであったオレは、まずはボカロらしいシナリオを作ろうと思った。
 
 ボカロらしいとは、つまりは歌だ。
 システムはSW(無印)だったので、歌とはバードだ。
 よし、全員バード持ちにしてもらおう。
 そしてシナリオは、歌に特化したダンジョンを作ってしまおう。
 
 こんな感じで環境とシナリオを整えたのである。
 
 これはハマった。
 意識が統一されたキャラクター。
 とある歌を見つけるんだと全員が共通での目的を持てたパーティー。
 そのために降りかかる関門も、自分の特性(歌)によって突破できる、キャラクターとの親和性の高いシナリオ。
 そして関門にキッチリとひっかかり、そして適切な手順で突破してくれるプレイヤー。
 全てがハマり、本当にGM冥利に尽きるというシナリオ組みとマスタリングができたと実感している。
 
 なかなかこの感覚は実際に体験してみないと分からないと思うが、こういうコトがあるのでGMはやめられない
 もちろん予期せぬ出来事や、プレイヤーの行動はある。
 しかしそれも、GMが想定しない行動で、かつ想定より合理的な関門の突破をしてくれた時は、それこそ「そんな手がと」逆に関心するわけだし、それはむしろ自分でも気づけなかったシナリオの再発見であるのだから、GMとしては素直に楽しいと感じる点である。
 
 GMは大変そうとか、難しそうとと思っている人は、いやいやGMでなければ味わえない快感もあるんだということを知って欲しいと思うのだ。
 今後、GMとはなんぞや的な話題もしていくし、多分TRPG初心者の一番のつっかかりところがGMだと思うので、その辺も色々と話をしていこうとは思っているが、まずは「GMは楽しいもの」「GMでないと味わえない快感がある」という事実を知って貰いたいのだ。
 GMは楽しいのである。
 
posted by AHC at 18:31| Comment(0) | TrackBack(0) | あまおち総統エッセイ

2016年02月24日

アナログゲームはコミュニケーションゲーム

あまおち顔アイコン_小.jpg アナログゲームの本質というものを考えた時、それはコミュニケーションゲームだというところに行き着く。
 
 TRPGはもちろん、カードゲーム・ボードゲームのどんなゲームであったとしてもその楽しさというのは、他人という人間と共にゲームを共遊するところにあり、これこそがアナログゲームの最大の魅力だと言える。
 記録を狙ったり、相手にただ勝つことを目的とするスポーツや、プログラム通りにしか動かないテレビゲームなどとの最大の違いがここにある。
 まぁ一人カードゲームもあることはあるが、基本的には他人の共に悩んだり、化かし合ったり、笑い合ったりする、それこそがアナログゲームのアナログゲームたる所以であり、本質なのだ。
 
 先ほども言ったが、スポーツとはここが違う。
 もちろんスポーツでも相手に敬意を払うとか、試合外でも選手同士の交流とかはあるだろうが、しかし試合そのものは勝ち負けが主だ。
 ここは変えられない。
 むしろ「相手のためを思って負けよう」と思うことは、スポーツにとっては最大のタブーだと言える。
 
 しかしアナログゲームはちょっと違う。
 例えば対戦ゲームでいくら勝ちという結果を得たところで、他のプレイヤーが「つまらないプレイだった」と感じてしまえば、それはアナログゲームとしては「よくないプレイ回だった」と言えるのではないだろうか。
 この点、TRPGが分かりやすい。
 お姫様を助けるシナリオだった場合、ルール通りに進めてボスを倒してお姫様を助けたという結果が得られたとしても、全員がブスーッとした顔で最低限の宣言しか発言しないような、通夜か葬儀かのようなプレイだった場合、とてもじゃないがそれは「成功した卓」とは言えないだろう。
 ボードゲームだとしても、大抵は負けたプレイヤーも「いやー、あそこの判断がダメだったかぁ。いやー、なかなか考えさせられたなぁ。このゲーム面白いですねぇ。またやりましょう、次は負けませんよ」なんて盛り上がってこそのアナログゲームと言えるだろう。
 勝ち負けを超えた楽しさがそこにはあるのだ。
 
 もっと端的に言えば、「競技」ではないと言ったところか。
 よって、広い意味ではアナログゲームだが、囲碁将棋や、競技化してるマジック・ザ・ギャザリングとかは今回の話の範囲外となるが、まぁ我々が一般的に考えるゲーム会とか即売会とかは、そもそもこれらは入らないので、細かい話はよしとしよう。
 競技の場所もあるドミニオンも、競技としてプレイしている人は少数だろうし。
 
 この「アナログゲームの本質はコミュニケーションゲーム」という点、感覚ではなんとなく分かってはいるが、明確に意識している人はあまり多くない気がする。
 例えば、やはり中には勝ちだけに固執するあまりに不利になると目に見えて不機嫌になったり、協力ゲームだと他人のプレイに口を出しまくったりするプレイヤーが、残念ながらいる。
 TRPGでも、ルールのスキを付くためだけに何度もシナリオを止めてGMとルール論争を繰り返すばかりのプレイヤーや、とにかく自分が自分の中だけで定めた目的を達成するためだけしか行動せず、仲間やシナリオ自体を無視し始めて暴走するプレイヤーなど、案外結構いたりするものだ。
 オレも実際、とあるコンベンションでスキルの使い方(コンボを出させるために)を横から口を挟まれまくって指示されまくり、プレイそのものがイヤになった経験がある。
 
 これらのプレイヤーの共通する欠点というのは、「勝ち負けや目的以上に大切にすべきもの」が見えていないというところにある。
 つまりは、「勝ち負けや目的を超えたプレイヤー全員の満足感」であり、クサい言い方をすれば「全員の笑顔」だ。
 本来アナログゲームはこれがなければ成立しないのに、別の目的しか目に入らないプレイヤーが、どうしても一定数いたりするのだ。
 
 だからオレは、「アナログゲームはコミュニケーションゲーム」ということを言語化して明確化させたいと思ってる。
 TRPGにしてもカード・ボードゲームにしても、往々にしてプレイヤー間のトラブルというか、特にコンベンションなどの初対面同士のプレイの際のいやな出来事というのは、基本的には意識の齟齬・コミュニケーション不足から発生していると言えるだろう。
 そしてその場合、この「アナログゲームの本質」を明確な意味で意識していないから起こるものではないかと考えている。
 「ゲームだから勝てばいい」「自分の目的を達成すれば他人はどうでもいい」というような、コミュニケーションから遠ざかるプレイによって、このような問題は引き起こされるわけだ。
 だから明確に「アナログゲームはコミュニケーションゲーム」と言語化させることによって、他人の存在をハッキリと意識させ、本当の目的はコミュニケーションにあると意識させたいのである。
 こうすれば、けっこうな割合でアナログゲームに潜むトラブルを事前に解消させることができるのではないだろうかと考えている。
 
 もう一回クサく言えば、「みんなが笑顔になるようプレイしましょう」だ。
 ギップリャー。
 
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2016年02月17日

未だAHCは試行錯誤

あまおち顔アイコン_小.jpg つい先日、オンラインサークルであるところのAHCは、その本部を引っ越した。
 これまでは独自SNSを使っていたのだが、どうもこれが使い勝手が悪く、正直アクセス率が悪かったと言わざるを得ない状況にあった。
 というか、代表であるところのオレ自身がアクセス率が悪かったと白状せざるを得ない懺悔である。
 正直スマンカッタ。
 
 これはなぜかと言うと、たぶん一番の原因は、スマホとタブレットの普及である。
 昔に比べたら、帰宅後のパソコンの前に座る時間がものすごく少なくなってしまった。
 昔は、朝起きたらパソコンの前に座り、家に帰ればパソコンの前に座って、時にパソコンの前でメシを食って、寝る直前までパソコンの前に座っていたもんだが、最近はと言えば、朝起きたらタブレットでニュースチェックして、移動中にスマホをいじり、家に帰ったら寝っ転がってタブレットをいじり、そのまま寝落ちるという、なんとも自堕落な生活になってしまっている。
 いやどっちが自堕落かと言われると困るが、おそらくどっちもである。
 そしてなにより、独自SNSがものすごくスマホ・タブレットでのアクセス環境が悪かったのである。
 一言で言えば、ちょー見にくかった。
 だから自然とAHC本部に足が遠ざかってしまっていたのだ。
 
 独自SNSに行く前は、AHC本部はミクシィの中にあった。
 AHCとしてはあの時が一番賑やかだったんだが、つまりはそれはミクシィに人がいっぱいいたから、もっと言えば、ミクシィでのコミュニティ文化が隆盛を極めていた時代だから、AHCもすごく賑やかだった。
 しかしミクシィはなにをトチ狂ったのか、コミュニティを切り捨てるような改革ばかりして、ミクシィはSNSの代名詞と言えた時代から自ら終止符を打ってしまったのだ。
 そして我々はいよいよミクシィに見切りを付けて独自SNSに移ったのだが、またここでひとつの時代の流れが来たと言えるのだろう。
 つまりは、スマホ文化である。
 
 もはやネットを見るデバイスとしては、パソコンよりスマホの方が多いという統計もある。
 であるなら、我々も時代に付いていかなければならない。
 ミクシィやSNSにこだわって、身内だけで固まって、なだらかに衰退していくっていう選択肢もあるわけだが、少なくともオレはそれを良しとはしなかった。
 オレはいけるところまで時代についていきたいと思っている。
 
 という理由からサイボウズliveに引っ越しした。
 サイボウズliveに決めた一番の理由は、スマホアプリが優秀だったからだ。
 スマホアプリを入れると、メンバーとラインのような会話が全員同時に行えるのである。
 これでアクセス率はどーんと回復するだろう。
 オレもどーんと回復した。
 
 でも当然これで終わりではない。
 また別の時代が来るかもしれないし、そもそもいまの時代だって完全に波乗りピカチューになっているわけではない。
 まだまだAHCは試行錯誤なのである。
 ゲーム作りも、サークル運営も、どうすれば多くの人間が気持ちよくゲームをプレイできる環境になるのか、日々試行錯誤のしているのである。
 
 というわけで、そんな試行錯誤なサークルAHCはいつでも新規会員を募集中です。
 誰でもウェルカーム。
 気軽に参加ボタンをポチってくださいな。
 
posted by AHC at 18:19| Comment(1) | TrackBack(0) | あまおち総統エッセイ

2016年02月10日

専門用語を使わない説明を

あまおち顔アイコン_小.jpg 多分いないと思うけど、オレの言動を全てチェックしているというあまおちマニアの人ならご存じの通り、オレはアナログゲーム業界のことについて、かなり疎い方である。
 アナログゲームでよく遊んでいる人なら知っているであろう有名デザイナーの名前を出されても、オレの頭の中はハテナだらけになる。
 
 そしてそれはそういう業界の事情だけにとどまらず、いわゆる専門用語もサッパリだったりする。
 
 例えば「ドラフトゲーム」と言われても、ちょっとまでオレは全く意味が分からなかった。
 プロ野球新人獲得ゲームか?
 てなもんだった。
 
 例えば「隠匿系ゲーム」と言われても、まぁ隠すんだろう、でも何を隠すんだ?えっちな本か?
 てな、いやんな妄想を膨らませるだけだった。
 
 自分でゲームを作っておいてそれはひどいと思われるかもしれないが、まぁひどい(笑)
 ただしこれ、オレがひどいのはあくまでゲームを作っている身であり、ましてアナログゲームサークルの主催者だからひどいだけなのである。
 決してオレがえっちだからではない。
 
 すなわち、これまでアナログゲームをしてこなかった初心者さんは、専門用語なんて知らなくて当然なのだ。
 
 ゲームを売っていると、「これはどんなゲームなんですか」って質問をよく受ける。
 当然だろう、どんなゲームか知った上で買いたいのは当たり前のことである。
 そしてもし相手がアナログゲーム熟練者であれば、専門用語を使った方が説明が早い。
 「これはドラフトゲームが基本でして、それに隠匿系の要素を盛り込んで、その上に……」と説明することができる。
 これで熟練者はだいたい予想が付くし、自分の好みのゲームかどうかが瞬時に分かるだろう。
 それはとてもメリットのあることだ。
 
 でも仮にそんなことをオレに言ったら、のび太君がごとく素早さで鼻提灯を作ってしまうこと請け合いである。
 そして初心者も同様だろう。
 熟練者には便利な専門用語も、初心者にとってはエルフが紡ぐ呪文詠唱よりも難関な言葉の羅列にしかならないのだ。
 オレはいつの間にかスリープの魔法を受けていたのだ。
 
 専門用語を使うな、とは言わない。
 時にそれは最もそれを表す言葉になるからだ。
 ただし、もしそのゲームが初心者にもプレイしてもらいたいと思うのであれば、そしてこの業界の裾野を広げたいと思うのであれば、ぜひとも専門用語を使わずにゲームの説明をして欲しい。
 そしてめんどくさがらずに頑張って欲しい。
 もし初心者をこの世界に引きずり込んだあかつきには、その初心者もいつの間にか専門用語呪文の使い手になるのだから
 その日を楽しみに、蟻地獄のごとく、門戸は広げておいた方が良いに越したことはないだろう。
 
posted by AHC at 22:04| Comment(0) | TrackBack(0) | あまおち総統エッセイ

2016年02月03日

アナログゲームの説明書ってハードル高いよね

あまおち顔アイコン_小.jpg 今後アナログゲームが拡がり、一般的な家庭でも普通に遊ばれるようになるためには、ひとつ解決しなければならない関門があると思っている。
 
 それは「ルールが難しい」という点だ。
 
 そんなのゲームにもよるじゃないかと言われそうだが、しかしその感覚というのは、アナタがアナログゲーマーだから言える感覚なのである。
 ハッキリ言って「プレイする前に10分以上説明書を読み込まなければならない」っていうのは、今の時代ハードルが高すぎる。
 もし普段からアナログゲームに親しんでいる紳士淑女ならまだいい。
 それは慣れっ子であり、むしろこの時間こそがたまらないというドMもいることだろう。
 
 しかし少なくとも、家族で親子がプレイする場合、確実に子供が飽きる。
 
 「よーしパパ、特盛りボードゲーム買っちゃうぞー」
 「やったー。早く帰って遊ぼー」
 (帰宅後)
 「………」
 「パパー、まだゲームできないのー?」
 「……戦争を起こすためには鉄トークン3つと…トークンってなんだ…」
 「パパー」
 「○○カードの効果については○ページのルールを適用し…ページ数戻って読み直しか…」
 「……zzz」

 
 こうなるのが目に見える。
 最近のコンピューターゲームは説明書を読まなくても、プレイしながら操作方法を学べるチュートリアル方式をよく取り入れている。
 コンピューターゲームならではと言えるが、ある程度こういうところも考えながらアナログゲームは進化していかなければならないのではないだろうか。
 少なくとも、アナログゲームはコンピューターゲームと違うから、みたいなあきらめの態度をとってしまったら、もうアナログゲームはそこで終わってしまうことだろう。
 まして本当にアナログゲームを広めるのであれば、「本格的なアナログゲーム自体が初めての家族」でもすぐにプレイできるようなゲームでなければならなはずだ。
 ハードル高いが、今後必ず乗り越えなければならない課題だと思う。
 
posted by AHC at 22:52| Comment(1) | TrackBack(0) | あまおち総統エッセイ

2015年08月20日

黒船がやってきた

DSC_1649.JPG
 
 黒船がやってきた。
 電源不要ゲームジャンルという、コミケの中でもかなり特殊で他ジャンルとの関連性もほぼ無い、まさに幕末日本のような閉鎖的な島国に、ニコニコ動画を原動力とした黒船がやってきた。
 クトゥルフ神話のリプレイをニコニコ動画にアップし大人気を博しているサークルが、コミケに出展してきたのだ。
 
 彼らは初参加、もしくは1,2回程度の参加にも関わらず、今回ひさしぶりに電源不要島に復活した「壁サークル」に配置された。
 いやむしろ、彼らのために「壁」が用意されたのかもしれない。
 そして彼らは壁サークルに相応しい冊数とスタッフ数を携え、コミケに乗り込んできていた。
 
※「壁サークル」とは壁際に配置されるサークルのことで、荷物を置くスペースが一般よりも大きいため、大部数の頒布数が見込まれるサークルが配置される。ここに配置されると一般的には「大手サークル」と呼んでも差し支えない。
 
 黒船は新しい波を呼び起こした。
 壁サークルに並ぶ人だかりが、明らかにこれまでの島国に来ていた人たちと違う。
 若い。
 そして女性比率が高い。
 開幕直後から電源不要ゲーム島に並ぶほどの人が集まることなんてなかったのに、はじめからもう人だかりである。
 こうして黒船に呼び寄せられた新しい波が、一気に電源不要ゲーム島という小さな島国を飲み込んだのだ。
 
 我々島国で活動してきた身としては、これをどう捉えればいいのだろうか。
 攘夷だ、尊皇だ、開国だと、大騒ぎすればいいのだろうか。
 それともただ指を咥えて見てるだけになってしまうのだろうか。
 はたまた見なかった振りをしてこれまで通りの活動を続けるのだろうか。
 
 もちろんどう反応するかは人それぞれだし、それに正解などありはしない。
 本当の黒船の場合は何千万人という国民の将来がかかった問題なので「人それぞれ」なんて言ってられなかったが、コミケの問題はそのサークルが個々人で判断すべき問題である。
 周りなんて気にせず、淡々と自分の活動のペースを守るっていうのも、それは尊重されるべき方針であろう。
 
 さてAHCはどうしよう。
 歴史に倣うのであれば、黒船が持つ技術を吸収した上で対等の立場までのし上がる、ということになるだろう。
 さあどうしたもんか。
 
posted by AHC at 18:35| Comment(0) | TrackBack(0) | あまおち総統エッセイ